国境と聞くと、多くの人は明確な線や壁をイメージするかもしれません。実際、多くの国境は川や山脈、人工的なフェンスなどによって区切られています。しかし、オランダのバールレ=ナッサウとベルギーのバールレ=ヘルトフの国境は、そんな単純なものではありません。この地域の国境は「モザイク状」とも言われるほど複雑で、地図を見るだけでも頭が混乱するようなデザインをしています。
この記事では、この奇妙で魅力的な国境について掘り下げ、歴史、文化、日常生活、そして観光の視点からそのユニークさをご紹介します。
国境がモザイク状?驚きの地理的特徴

まず、バールレ=ナッサウとバールレ=ヘルトフの地理を簡単に説明します。
この薄い黄色の地域は、オランダ領のバールレ=ナッサウという地域です。その中に、20以上のベルギーの飛び地(バールレ=ヘルトフ、濃い黄色)があり、さらにその飛び地の中に10ほどのオランダの飛び地(バールレ=ナッサウ)が存在します。
飛び地(エンクレーブ)とは、ある国の中に他国の領域が完全に囲まれている土地のことです。この地域では、飛び地の中にまた別の飛び地がある「二重飛び地」も含まれており、世界的に見ても極めて珍しい形態です。
歴史が作り出した複雑な国境
この奇妙な国境の起源は、中世に遡ります。1198年、当時のブラバント公国とブレダ領主の間で土地が分割されました。その後の数百年にわたり、土地の売買や結婚、相続などを通じて細かい区分が追加され、現在のような複雑な国境が形成されたのです。
特に興味深いのは、こうした国境の区分が近代国家の成立後もほとんど変わらずに残ったことです。オランダとベルギーの間で行われた1843年の「マーストリヒト条約」では、この地域の国境線が正式に確定されましたが、飛び地構造はそのまま維持されました。
国境が日常生活に与える影響
今日、欧州連合(EU)のシェンゲン協定により、バールレの国境は形式的なものになっています。パスポートなしで自由に行き来できるため、住民たちの生活は便利になっています。しかし、地図上の国境線や飛び地の存在は、依然としてこの地域をユニークなものにしています。
道に国境が記されている

バールレはそのユニークな国境構造が観光地としても人気を集めています。町中には、地面に描かれた白い十字のマークがあり、これがオランダとベルギーの国境を示しています。観光客はこのマークをまたいで、「今オランダ!次はベルギー!」という特別な体験を楽しむことができます。
バールレには、店内に国境線が引かれているカフェやレストランがあります。友人とテーブルを囲んで座っていても、片方がオランダ側、もう片方がベルギー側に座る、なんてことも。異なる国にいながら一緒に食事を楽しむ体験は、他では味わえないユニークなものです。
家の中で2つの国にまたがる暮らし

この地域では、建物の中を国境が横切るというユニークな現象がよく見られます。一つの建物にオランダ領とベルギー領が共存する場合、その建物がどの国に属するかは玄関の位置で決まります。このため、家主は玄関の位置を少しずらすだけで法律や税制が変わることになります。便宜上、すべての番地プレートに国旗が付けられています。
国による規制の違い
バールレでは、オランダとベルギーで法律が異なるため、同じ町内でも規制が変わります。ベルギーでは一部の商品が販売可能であっても、オランダ側では禁止されている場合があります。
例えばベルギー側には多くの花火屋がありますが、オランダでは花火の自由販売は禁止されています。オランダ人は祝日の前夜になると多くの人がお祝いの花火を飼うために国境を越えることがあるそうです。
過去には、ベルギー側の規制が緩やかだったため、店が営業時間や税金の面でベルギー領内での運営を選んだ例もあります。
第二次世界大戦中の興味深いエピソード
バールレの国境の複雑さは、第二次世界大戦中にもユニークな役割を果たしました。当時、オランダはナチス・ドイツに占領されていましたが、バールレ=ヘルトフ内のベルギー領ではドイツの影響が比較的弱かったため、この地域は隠れた避難所や取引の場として機能しました。このように、国境の特殊性が命を救う役割を果たしたこともあったのです。
まとめ
バールレ=ナッサウとバールレ=ヘルトフの国境は、単なる線ではありません。それは歴史の産物であり、住民の暮らしの一部であり、訪れる人々に驚きと楽しさを提供する場所です。この町を訪れることで、国境とは何か、そしてその柔軟性について新たな視点を得ることができるでしょう。
参考
- Baarle-Nassau/Baarle-Hertog
- Baarle – wikipedia(英語版)
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