「地獄の灯台」――。フランスのブルターニュ地方にあるアーメン(アルメン)灯台は、「地獄の中の地獄」「恐怖の灯台」など、数々の恐ろしい異名を持っています。その理由は、荒れ狂う大西洋に囲まれた孤島という立地だけでなく、数々の悲劇が繰り返されてきた歴史にもあるのです。今回は、そんなアーメン灯台にまつわる恐ろしい伝説と、その真相に迫ります。
「アーメン」という名称
アーメン灯台の「アーメン(Ar-Men)」は、ブルターニュ語(ブルトン語)で「岩」や「石」を意味します。岩の上に建設されたことからこの名が付きました。ブルターニュ語は、フランスのブルターニュ地方で話される言語で、現在は話者数が減り消滅危機言語のひとつとなっています。カタカナ表記では「アーメン」または「アルメン」となります。
キリスト教の祈りや賛美の際に唱えられる「アーメン(amen)」とは関係がありません。こちらはヘブライ語で「本当だ」「その通り」という意味があります。
アーメン灯台の位置と環境

フランスのブルターニュ地方、フィニステール県の沖合約20キロメートルに位置するアーメン灯台は、大西洋の荒波の中に孤立しています。灯台の立つアーメン岩礁は、激しい潮流と強風が絶え間なく吹きつける過酷な場所であり、建設当時も現在も、その過酷さから「地獄の中の地獄」と称される所以となっています。
アーメン灯台の場所は、特に危険な海域として知られており、航行する船舶にとって大きな脅威となっていました。そのため、この灯台の設置は航行安全のために不可欠でありました。

また、アーメン灯台はフランスの他の灯台とは異なり、陸地から完全に孤立しているため、補給や交代の際にも大きな困難が伴いました。物資の運搬や灯台守の交代は、専用の補給船やヘリコプターで行われましたが、天候が悪化すると補給や交代が遅れ、灯台守たちは長期間にわたって過酷な環境に閉じ込められることもありました。
このように、アーメン灯台はその位置と環境から、建設も維持も極めて困難な灯台であり、そこで働く灯台守たちの献身と努力によって支えられてきました。この過酷な環境こそが、アーメン灯台を「地獄の中の地獄」と呼ばせる所以なのです。
まさに命懸け、アーメン灯台の建設
アーメン灯台の建設は、19世紀後半のフランスにおいて大きな挑戦でした。航行の安全を確保するために灯台の設置が必要とされましたが、その場所は過酷な自然環境にあり、建設は非常に困難を極めました。
灯台の建設計画は1860年代に始まりましたが、具体的な工事が始まったのは1867年でした。当初から、作業員たちは自然の厳しさに直面し、潮の満ち引きや嵐、強風と戦いながらの作業を余儀なくされました。特に困難だったのは、灯台が建つアーメン岩礁が満潮時にはほとんど水面下に沈んでしまうため、作業時間が限られていたことです。
作業員たちは、潮が引いたわずかな時間を利用して岩礁に取り付き、基礎工事を行いました。岩礁の近くには、激しく打ち付ける波によって海に投げ出される作業員を回収するためのボートが常に留まっていました。また、作業に向かう途中でボートが波にさらわれ、命を落とした作業員もいました。それでも残された作業員たちは諦めず、幾度も挑戦を続けました。
作業開始から14年後の1881年、アーメン灯台は試運転、そして完成を迎えました。完成した灯台は、高さ33メートル、直径7メートルの堅固な石造りの構造物でした。
しかし、岩の上に建てられたこの建造物の安定性について懸念をもつ人々もいました。そのため補強工事が行われ、大西洋の荒波に耐えうるよう設計されました。補強工事が終了したのは1902年で、これをもってアーメン灯台の建設は完了したということになります。
アーメン灯台の完成は、フランスの灯台建設史における重要なマイルストーンとなり、その後の灯台建設技術にも大きな影響を与えました。この灯台は、単なる航行の安全を確保するための施設以上のものであり、その建設に関わった人々の勇気と献身の象徴として、今なお語り継がれています。
灯台守たちの過酷な職務

アーメン灯台の灯台守たちの日常は、過酷な試練の連続でした。彼らの役割は単に灯台の光を維持するだけでなく、孤立した環境でのサバイバルそのものでした。その日常生活と試練は、想像を超えるものでした。
絶え間ない仕事と責任
灯台守たちは、昼夜を問わず灯台の光を保ち続けるために、常時2人が配置され、交代で24時間勤務に当たりました。灯台にあるすべての物の点検や補修なども自分たちで行わなければなりませんでした。灯台の光が消えることは、航行する船舶にとって致命的な危険を意味するため、一瞬の気の緩みも許されません。灯台の機械部分の補修や、燃料の補充、レンズの清掃など、常に多忙な日々を送っていました。
過酷な気象条件との戦い
アーメン灯台が立つ場所は、常に激しい風と高波にさらされるため、灯台守たちはしばしば悪天候の中で作業を行わなければなりませんでした。嵐が来るたびに、灯台は激しい波に打ち付けられ、内部に水が浸入することもありました。また、配置されている灯台守の交代も悪天候により中止になることがあり、100日以上勤務したという記録もありました。そんな状況下でも、灯台守たちは灯台の光を維持し、灯台自体の安全を確保するために尽力しました。
孤独と精神的な試練
アーメン灯台の灯台守たちは、陸地から完全に孤立しており、他の人々と交流する機会が極めて限られていました。この孤立感は、彼らにとって大きな精神的試練となりました。長期間にわたる孤独な生活は、精神的な負担となり、時には心の健康に影響を与えることもありました。灯台守たちは、互いに支え合いながら、この孤独に耐え抜かなければなりませんでした。
限られた物資と補給の不確実さ
アーメン灯台への補給は、専用の補給船やヘリコプターによって行われましたが、悪天候が続くと補給が滞ることがありました。食料や燃料、水などの生活必需品が不足することは、灯台守たちにとって重大な問題でした。彼らは、限られた物資を工夫して使い、長期間を乗り切らなければならなかったのです。
アーメン灯台での生活は、想像する以上に過酷であり、そこで働く灯台守たちの勇気と献身は計り知れません。彼らの試練と生活を知ることで、アーメン灯台が「地獄の中の地獄」と呼ばれる理由を、より深く理解することができます。
現代のアーメン灯台
アーメン灯台の役割と管理は、技術の進歩とともに大きく変化しました。かつては灯台守たちの手によって維持されていたこの灯台も、現在では自動化が進み、運用の方法も変わっています。それでも、アーメン灯台は今なお重要な航行支援施設としての役割を果たしています。
自動化とリモート管理
1990年、アーメン灯台は自動化されました。自動化により、灯台の光は遠隔操作で管理されるようになり、定期的なメンテナンスも効率化されました。この技術の進歩により、灯台守たちが常駐する必要がなくなり、灯台の維持コストも削減されました。
現在の運用体制
アーメン灯台は現在、フランスの灯台管理機関によって管理されています。リモート監視システムが導入され、灯台の機能を常に監視し、異常が発生した場合には迅速に対応できる体制が整えられています。定期的な点検とメンテナンスは専門の技術者が行い、灯台の機能を良好に保っています。
アーメン灯台は、その過酷な歴史と技術的進歩を経て、現代においても重要な役割を果たしています。自動化と技術の進歩により、灯台の運用は効率化されましたが、その歴史と文化的価値は今なお色褪せることなく、多くの人々に愛され続けています。
まとめ
「地獄の中の地獄」と呼ばれるアーメン灯台の歴史を知ることで、人間の技術と自然に対する挑戦、そしてそれを支えた人々の献身に深い敬意を抱きました。この灯台は単なる建造物ではなく、壮絶な物語を宿す象徴的存在です。
参考
- Phare d’Ar-Men – wikipedia(フランス語)
- Ar-Men, il faro più simbolico del mare – 2023.05.29, BarcheNews(イタリア語)
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